いきつけの美容室の美容師さんの話。
彼女の住むマンションでは、なんと震災後自然発生的に、入り口の共用スペース(エントランス)に、野菜やらゆで卵やらが置かれたそうだ。

「○○○号室の○○です。手に入りましたので、おひとつずつお持ちください」
最初は野菜だった。その後様々なものが置かれ、
最後には自転車の空気入れまで置かれていたとか。
「ご自由にお使いください」と。
そして、「○○号室○○」と書かれたダンボールには、
「ありがとうございました。助かりました。○○号室○○」などと書き込まれ、
掲示板・伝言板になっていった。

聞くと、これまでは挨拶を交わす程度の関係だったマンション内の関係だったそう。
ある一人の行動(野菜を置いた方)が、次々と周囲の人の良心や想像力を引き出して、
支えあいの輪が広がったのだ。

この話をすると皆、「それは東北だからだよね。首都圏は奪い合いだよ」と言う。
現に当時テレビでは、そんな首都圏の図が放映されていた。

けれども、ある日東京在住の友人にこんなことを言われた。
「私たちは、被災地に水や食料を送るためにスーパーに走った。
ひとくくりに都会の人は奪い合うなどと言わないでほしい。」

~東京公演の際にこの話をした所、終演後、数人の方が私の元にやってきた。
「主人が都内から横浜まで何時間もかけて歩いて帰る途中、ある団地の玄関先にカイロとキャンディーが置いてあって、それがどんなにありがたかったか話してくれた。おひとつずつお持ちくださいと書いてあり、誰一人多く持っていく人はいなかった」など、首都圏での支え合いのエピソードをいくつか紹介してくれたのだ。皆、一方的な報道にもどかしさを感じていたのだろう。

都会だろうが地方だろうが、人間は皆一緒。
誰かの優しい心遣いに触れた時、心の奥の、良きものが引き出されるのだろう。
逆に気持ちを逆なでされたりしたら、それ相応の行動が引き出される。

人間は、良きものも悪しきものも、その全てを持ち合わせている生き物なのだ。
そして、そのどれを引き出して使うかの自由は全て自分にゆだねられているのだ。

この自由さは何とありがたく、なんと恐ろしいものなのだろう。

当たり前すぎて考えることもなかった、人間と言うものの本質を改めて見せてもらったような…
そんな、震災時のあるひとつのエピソードである。
(仙台市・言の葉アーティスト 渡辺祥子)