避難所

いま、思う、3.11。

被災地に追い打ちをかけるような厳しい寒さが続いています。
仮設住宅や被災された家屋にお住まいの方々にとっては、なんと過酷な冬でしょう。
 
あの日。
私は、仙台市の中心部にある勤務先、宮城県国際交流協会で被災しました。
ビルの7階にあるオフィスは揺れに揺れ、スチール製のキャビネットが恐ろしい音を立てて倒れるなど、オフィスは一瞬にしてとんでもない惨状と化しました。
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避難所生活の極初期-自立を後姿で伝える

3.11の翌日。最初に避難した宮城県石巻市、羽黒山の総合体育館が遺体安置所になるとのことで退去を求められた私達は、まず日和山に登り、一夜を経ていまだ灰煙に激しく煙る南浜町から、何艘もの漁船が街中に横たわる渡波、そして岸部の削り取られた中瀬、そして瓦礫にまみれた北上川沿岸域など、石巻市の被災の現状を目に焼きつくほど見つめた。

私達三人は、避難所を求めてまず石巻市立女子高校を訪ねると「ここは火災の恐れがあり避難者は受け入れ出来ません」とのことで断念。そして次に案内された県立石巻高校トレーニング室が大切な一次避難先になり、そこが私達の人生を変えた場所になった。
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はじめまして。  ―わたしたちの被災記録

2011年3月11日、午後2時46分。わたしたち家族は、気仙沼市にいました。

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津波が奪ったもの

台風15号が接近していた9月21日は、東京から来るNGO職員3名と岩手県一関駅で合流し、宮城県気仙沼市を訪問する予定でした。

すでに高速道路の一部は通行止めという状況でしたが、気仙沼方面はまだ大丈夫という安易な判断で出発しましたが、仙台の最寄りのインター入り口まで1時間もかかってしまい、少し不安になってきました。

それでも 新幹線は東京を普通に出発したという電話があり、なんとか一関まで行って判断しようという気持ちで走り続け、無事到着しました。
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3.11.14:46 その瞬間の判断

還暦を期し気仙沼にUターンして以来2年、阪神淡路大震災の経験を踏まえ防災減災セミナーや岩手宮城内陸地震フォーラムなど、宮城県沖地震にまつわる危機管理啓発集会に参加して「自助・共助・公助」、とりわけ『自助・共助』と『自主判断の速さ』の重要性に着目し、その時どう対応すべきかを考えていました。

あの日あの時、私は、太平洋沿岸石巻市渡波(わたのは)にあるグループホームに友人と共に友人の母を見舞い、市内でのNPO団体総会の打ち合わせに向かう途上にありました。そこは石巻漁港から内陸に数百メートル-日和大橋を直前にした車中でした。
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オピのおびとは

「オピのおび」は「オピニオンの帯」。東北から発信した意見が、太い帯となって世界に広がっていくようにとの願いを込め、「東日本大震災」から半年となる9月11日、新たなオピニオンサイトを立ち上げました。
東北在住の執筆者たちが、ある時は震災からの復興プランやこどもたちの未来について、ある時はそれぞれの専門領域を生かして、メッセージ性に富んだブログをつづっていきます。河北新報社が運営します。

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